一八六六年、英国公使ハリー・パークス、鹿児島へ。
砲火を交えた相手と、食卓を囲む。
その民間外交の原点から、百六十年。
「鹿児島なんて、そんな大したことないですよ」。
東京で、同郷の若者が私の目の前でそう言った。
彼らのせいではない。
私たち歴史を預かる者が、誇りを持てるだけの物語を、
現代に接続してこなかったからだ。
百六十年前、国禁を犯して海を渡った薩摩の若者たちがいた。
彼らを動かしたのは、私利私欲ではなく、志だった。
歴史は、回顧するためにあるのではない。未来を創るためにある。
加治木島津家が預かってきたのは、土地でも財産でもない。
信用の蓄積と、「薩摩」という世界に通用する物語だ。
それを死蔵せず、現代に使い切る。
行政の補助に頼らず、民間の手で、
鹿児島の歴史と文化を世界水準の体験として届け、
その先で、次の世代を育てる土壌をつくり直す。
SATSUMA HERITAGE 160 は、その最初の一歩である。
日常を走る市電が、一夜かぎりの社交場になる。
車窓を流れる街の灯。英国王室御用達のシャンパーニュと、パリの老舗のキャビア。日々の公共の風景を、非日常の体験へ──。その最初の試みが、ここから始まりました。
舞台は、薩摩藩英国留学生・長澤鼎の名を冠したセラー。
十三歳で海を渡り、カリフォルニアで葡萄を育てた少年の生涯を、森孝晴名誉教授が語る。加治木島津家十三代当主・島津義秀の薩摩琵琶が響く。物語と旋律と一皿が、百六十年の時を結んだ一夜。
三日間の結びは、ふたたび走る社交場で。
ボランジェ、プルニエ、バブアー、グローブ・トロッター──英仏四つのメゾンの品々とともに。行政に頼らず、民間の手で文化観光の型をつくる──その最初の一歩を、多くの方々と分かち合いました。
講話「薩摩と英国 ── 薩摩藩英国留学生 長澤鼎」。十三歳で海を渡り、やがて“葡萄王”と呼ばれた男の生涯を語る。
鹿児島に生まれ、一八九七年創業・英国の旅行鞄の名門を率いる。故郷の地で、英国のものづくりと継承を語った。
一八七二年パリ創業のメゾンが受け継ぐ、キャビアの文化とその味わいを語る。
メゾンで働く唯一の日本人として、年間百件近い催しでボランジェを伝える伝道師。マグナムを手に一八八四年からの英国王室との物語を語り、乾杯の音頭をとった。
英国の野を纏うバブアーの経年の一着を、世界から集める目利き。英国の衣の文化を車内に持ち込み、その物語を語った。旅の途中、薩摩焼の窯元にも足を運んだ。
二十歳、路上の靴磨きから身を起こし、南青山に「Brift H」を構える。二〇一七年、ロンドンの世界大会で初代王者。英国靴の文化を、手のひとつひとつの仕事で伝えた。
この三日間、集っていただいたのは、
いずれも「英国」との縁を持つメゾンと職人です。
王室御用達のシャンパーニュ、ロンドンに愛されたキャビア、
王室ゆかりの旅行鞄、英国の野を纏うジャケット、英国靴を輝かせる手仕事──
薩摩と英国、百六十年の物語のもとに。
一八二九年、シャンパーニュ・アイ村に創業。一八八四年にヴィクトリア女王より英国王室御用達を拝命以来、百四十年にわたり英国王室に最も愛されるメゾン。映画『007』のボンドが半世紀選び続ける一本でもある。英国と薩摩の乾杯は、この一杯から始まりました。
一八七二年パリ創業、一九二一年に世界へ先駆けてフランス産キャビアを生んだ、最古のキャビア・メゾン。かつてロンドン・セント・ジェームズにも店を構え、英国社交界に愛された歴史を持つ。アンバサダー水谷類氏が、その一粒の物語を直々に語りました。
鹿児島を代表する迎賓の地。晩餐の舞台「ザ セラー N バロン・ナガサワ」は、英国に学んだ薩摩藩英国留学生・長澤鼎──のちに“バロン・ナガサワ”と呼ばれた男──の名を冠する。英国と薩摩を結ぶ物語の、まさにその場所でした。
一八九七年創業、英国で受け継がれる旅行鞄の名門。エリザベス二世が新婚旅行に携えたと伝えられる、王室ゆかりの逸品。鹿児島出身の代表取締役・鶴田浩平氏が、故郷の地で自ら登壇。トランクとともに英国のものづくりと継承を語りました。
英国の野を纏う象徴、バブアーのワックスジャケット。その経年の一着一着を世界から集める専門店を主宰する山岸祐太氏が、英国の衣の文化を車内に持ち込みました。
靴を磨く文化は、英国紳士の嗜みから始まった。二〇一七年ロンドンの世界大会で初代王者となった長谷川裕也氏が、南青山「Brift H」の手仕事で、英国靴の文化を伝えました。
そしてこの三日間、ご参加の皆様も、ご登壇の皆様も、
薩摩の歴史と文化に深く触れ、それぞれの場所から薩摩を語る“発信者”となってくださいました。
百六十年前、薩摩の若者が英国へ渡ったように──今度は薩摩から、物語が世界へ広がっていきます。
本事業は 鹿児島市の後援 を賜り実施いたしました。
ご協賛・ご協力を賜りました皆様に、心より御礼申し上げます。
百六十年前、先人たちは
争いのあとに、交わりを選びました。
英国では今も、みかんを「サツマ」と呼ぶ。
海を渡った交わりは、言葉になって生きている。
私たちは、行政の補助に頼らず、
民間の手で、鹿児島の歴史と文化を世界へ手渡す。
この三日間は、その最初の実証でした。
二〇二七年──薩摩のパリ万博出展から、百六十年。
次なる節目へ、歩みを進めてまいります。